冨坂です。
昨日の日誌を書いて以降、寝床でボヤッと考えていた時の方が圧倒的に進んだ。
「商店街を潰しての駅ビル化」ではなく「商店街アーケードの存続or撤去」というテーマでの会議にしようと、ふと思ったのだ。
っていうか初回の「冨坂執筆中我々監視中」の時は配信を意識するあまり「なんかセリフ書かなきゃ」とか思ってヌルいゆるふわ会話を書いてしまったので、気持ち悪かったのだ。
「アーケードの存続or撤去」で考え出したら、要するに俺の大好きな「伝統」エピソードに行き着いて、「これだな」と。
アーケードの撤去か存続(補修)で揺れる商店会の会議で
・プロジェクトXの後始末
・遺産(レガシー)をどうするか
・愛国心とか郷土愛とかアイデンティティ
・伝説の後の時代
みたいなテーマを描くっていう、思いのほか現代的でガチなテーマ設定になってしまった。
「東京五輪やったとしても遺産どうすんねん」みたいに言われてる昨今にも通じる、いいテーマかな、と。
ただ、テーマとしてちゃんとしすぎてて、ヘビーすぎて、これを扱ってちゃんとコメディにできたらそれだけでお腹いっぱいになりかねないのが懸念。っていうか書くの超難しそうな題材。
でも「伝説のあとの時代」ってモチーフ、好きなんだよなぁ。
多分、商店街と同じく登場人物も全員どこかしら「昔は良かった」に通じる部分を抱いてるんでしょうな。
で、最終的に「伝統」のシンボルは、「遺産」は、おそらく無くなる結論になるんでしょう。
かつてのプロジェクトXの産物を撤廃する結論を導き出すんだけど、その話し合いのプロセスこそが新しいプロジェクトXであるぞ、と。過去の遺産を否定する結論なんだけど、その精神性という面で、過去の遺産を作った瞬間と通じている、肯定している、という。
…ナイゲンじゃん。
っていうのを思いついたところで寝て、起きてからはそのための登場人物の配置とディテールの詰めをやってました。
なので昨日書いた部分はドカンと消したし、配信中にあんまり台詞書いてなくてごめんなさいね。
申し訳ないけど、気にせず、ちゃんと自分が台本を書く時のプロセスを踏もうと思います。
フワフワした、枷がない状態、柱がない状態でセリフを書こうとすると、感覚と妄想だけを頼りに進まなきゃいけなくなって、気持ち悪いんですよね。根拠と確信のない文になっちゃう。
俺は基本的に物語を書くことって気持ち悪い・恥ずかしいことだと思ってる節があって、「このテーマはノれる!」とか「この構造は固い!(自分なりにですよ?)」「このネタは面白い!(改めていうけど自分なりにですよ?)」という柱であり枷であり条件であり根拠があって初めて、その気持ち悪さに反論して書き出せる、みたいな感じなんですよね。
でもその三本柱って枷でもあるから、いざ書こうとした時に「どうやってこの条件揃えんねん…」と頭を抱えたりするわけですが。
いまんとこ、「アーケードの存続or撤去」を題材にすることと、まちづくりコンサルタントの飯田・その幼馴染で商店街の中心的な人物の孝夫・孝夫の妻で飯田とも幼馴染な美友紀の3人の関係性が見えているので、あとは商店街の中のアーケード存続派の中心人物になりそうな「北野」の人物像とアーケードとの関係性が決まれば、一気に話が進む気がする。
人物とかは こちら の台本の本文にて
あとはもう言っちゃうけどナイゲンと同じ構成でいくよ。
序盤は二択で本題について話して、
中盤には個人的な人間関係とかで票が変わって行って、
後半で誰か一人を対象に深刻なピンチが訪れ、
終盤でそれまでに出た要素を使ってそのピンチを解消する、と。
そこまで似せとけば書きやすいし、あと、間違っても「これそのまま普通の会議コメディとしてやらない?」とか言い出さなくなるはず。
執筆は続く。