こんにちは、アガリスクエンターテイメント『その企画、共謀につき』の公開稽古記録係の中村です。
公開稽古は第二回、第三回と続いていましたが、私は事情により第一回のみにしか参加できておらず、間が空いてからの記録となります。わかりづらい形になり、申し訳ありません!
今回は第四回公開稽古、脚本がいよいよ中盤まで進み、実際に稽古が行われているのを観察してきました。「アガリスクの稽古ではどのようなことが行われているのか」について、ほぼ素人の自分が気づいたことを中心にお伝えいたします。
〜前回までのあらすじ〜
アガリスクエンターテイメント(以下、アガリスク)の最新公演『その企画、共謀につき』(以下、『共謀につき』)は、作・演出の冨坂友が思いついた企画を、ディテールを詰めたり、決定したりする段階から共謀者(共謀券・無限共謀券というチケットを買ったお客様)たちを中心に赤裸々に公開していく、ガチンコな企画公演である…。
第二回の公開稽古により、冨坂によって提出された企画の中から、『そして怒濤の伏線回収』(以下、『伏線回収』)に決定された…。
以降、脚本家にして演出家冨坂友の脚本執筆が開始され、稽古も始まった。すべては少しずつ順調に、歯車は噛み合って回り始めた、かのように外からは見えているが…?
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今回は、劇中の後半部を台本を読みながらの稽古をしました。
(公開台本→ こちら )
今回は、P54〜66のあたりを、少しずつ稽古を進めていました。
全体の流れとしては、商店街の象徴であるアーケードを撤去するか否かを会議で話し合い、「撤去賛成派」「撤去反対派」それぞれの集団が、説得されたり自滅されたりして、意見が変わってくるという展開です。
めまぐるしくキャラクターの立場や思惑が変わっていく様子、そして、多くの登場人物それぞれの立ち位置を作っていく中で、どのような指摘があり、どう変わっていったのか、個人的に印象深かったことを中心に記します。
◯立っているか/座っているか、どう動くか
「あー、このセリフの時は、もう◯◯さんは立っていたいですね」や、「ここはこの人が立っていた方が間抜けに見えると思う」など、冨坂さんはどこのシーンで誰が立っているか、いないか、という事をよく話題にします。基本は着席して会話を交わすだけになりがちな「会議物」では、「立っている」か「座っている」か、で見え方が全く変わってきます。例えば、AさんがBさんを責めている時に、普通は、Aさんが立ちBさんを見下ろす方がどちらが優勢かわかりやすいですが、Aさんは一切動かずBさんが立ち上がっている、とBさんの立ち振る舞いが急におかしく見えてきます。
また、同じように「ここはもう少し動きたくなるんじゃないのかな」「もっと近づきたいはずだけど、今はそれが出来ないなー」など、どこからどこへ動くかということも当然話題にあがります。
特に今回は、とある案に賛成か/反対か、ということで、人物の立ち位置が二分割されるため、賛成サイドの空間、反対サイドの空間、そして、真ん中にあるニュートラルな空間の、どこに・誰が・どうやって・いるのかという事が、「あ、今この人は、この勢力の中でこういう立ち位置なのかな」と目で見てはっきりわかります。また、とある人が動き出すだけで「あ、なんか意見が動くな」と感じ取れるようになり、台詞が始まる前から笑えるようになります。
12人もいる(!)状況の中で、「あれ、誰が今何を考えているんだっけ」「ちょっと待って、敵と味方がよくわからない」というような事にならずに、集中して見られるのは、立ち位置の時点で状況がわかるように、演出の工夫がされているからなんだ!と改めて当たり前の事を気づきました。
では、それらについて、実際どうやったら役者に必要な時に立ってもらえるか、ということに関しては、
・シーン前後のつながりを確認して、誰かが動けないか探る。
・役者と会話しながら、役者がこう動けるかも、とトライしたことの中から拾っていく。
というような形で、何度も繰り返して、正解を探っていました。
これは一度で成功することもあれば、何回も何回もトライすることもあります。
しかし、時折「最終的には最初と同じような動きに収束したけれど、明らかに最初の状態より見やすいしわかりやすい」という「つよくてニューゲーム」な状態や、「一つの動きを導くために、仮に動かした動線が次の動きに作用していって、どんどん立ち位置や動きが生まれていって、面白さが増していく」という「だいれんさ」な状態が生まれることがあり、その状態が生まれていく様子が、一連の流れを含めて、とてもそれ自体が面白いものでした。
◯セリフの「間」・「言い方」・「音量」
人物が大きい声を発している時はもちろん、面白い言葉やそれに対するツッコミが特に出ていない状態でも笑ってしまう、という事が、コメディではよくあります。
特に、今回の『伏線回収』は、対立した意見をぶつけあったり、互いの陣営に誘いあったりと、なんでもないような言葉が「はたらき」を持って、相手に作用する時に、笑いが生まれる瞬間があります。また、とある一言がうまくはたらいてしまった時に、全体が反応する瞬間、その間の一瞬の沈黙が爆笑ポイントだったりします。
このようなセリフ達を、実際に役者が声に出していく中で、「とにかく間を空けずに喋ってみてくれ」「その台詞は情報を伝えるだけで効果的なので、意図をこめなくてもいい」「もう少しわちゃわちゃとみんなの声が聞こえるようになりたい」など、多くの実験がなされていきます。セリフが持つ「はたらき」は様々ですが、その「はたらき」でさえも、「間」の空け方や「言い方」で変わっていきます。
例えば、ある程度会議の方向性がまとまった中で、Aさんが発する「いや、ちょっとおかしくないですか?」というような台詞があったとします。その際に、台詞の前に「間」があれば、Aさんは会議の様子を聞いて、少し考えてから「おかしい」と発言した、ということになります。一方、「間」が後にあると、Aさんは早くその判断を下した、ということ、また、それを受けて他の人達がたじろいだこと、が示されます。このようなことを、どれが一番効果的なのか、演出の目、役者が実際にやってみた感覚、そして今回は共謀者の笑い声、などを手がかりにしながら、擦り合わせていっていました。
また、「言い方」については、
今回の稽古で最も盛り上がったくだりがありました。
鹿島さんが演じる役の台詞に、夫のアーケードを守る為の主張に対して「わかんない」と返答する台詞があり、その言い方について、冨坂さんは「(鹿島さんが)割とよく普段に、わかんない、って言うからその感じを活かしたつもりなんだけど…」と話し、いつもの調子を求めますが、その要請が完全には噛み合わないまま、稽古は次の場面へと進みました。そして、また別の場面で、冨坂さんが鹿島さんに何かを提案している途中に、
鹿島さんが「……わかんない!」と発して、
役者、演出、共謀者一同が、「…そ、それだぁ‼︎」と満場一致で指摘し、全員が三十秒ほど爆笑し続けました。
◯全体に注目できるように
脚本の都合上、どうしてもしばらく台詞がない役もあります。それに誰かが気づくと、「もう少しここが生きるようにしたいね」という提案が出て、台詞が無い人達もきちんと場に絡めるためにはどうすれば良いのか、いろいろなことが試されます。
例えば、台詞が無い人たちに、盛り上がっている側へのツッコミの台詞を追加することや、それぞれの立場から今の状態に反応すること、話している役者が今話していない人の方にも向けて話しているように身振りや顔の向きで表すこと、などです。
それらを加えていくことで、どちらか片方、もしくは両陣営に属していない立場の人も、その会議に関わっている、という状態が常に続くように調整されていきました。
◯もっと笑えるものを!
「ここはもっと笑えるんじゃないか」「もっと面白くなるんじゃないか」と言いながら、調整する場面が多い稽古でした。
例をあげると、
・もっとコントっぽく
…鹿島さんと山田さんが演じる夫婦が、不倫したか不倫していないか、家族の問題をどこまで開示するか、というややシリアスな問題でもめる場面。これを真面目にやると情緒に傾いてしまう、という時に、「これはほとんどコントみたいに、間を空けずに情報を交換していく感じで行こう」という指摘がありました。また、別の場面、それぞれの役が自分の陣営に軽くツッコミを入れながら盛り上げる、といったところで、「弱ひな壇」という不思議な言葉で、状態を説明していました。これらのような「笑えるもの」を参考にしながら、物語的には重い場面を笑いの対象として演出していく姿が印象的でした。
・ツッコミ機能のある台詞
…普通の情報を言っているだけであっても、もめている状態においては、牽制として働いてしまうような台詞を、「ツッコミ機能のある台詞だから、それを意識して言ってください」というような風に説明する瞬間がありました。また、同様に、「感情のやりとりじゃなくて、情報を渡すだけで相手を困らせられるはず」というような指摘があり、とにかく、感情よりも情報を重視しているような印象を受けました。
他にも、「これは一体どういうことだ!」のような、強烈に芝居がかった台詞の言い方について「浅香光代リスペクトでいこう」というアドバイス(結果として、浅香光代リスペクトというより浅香光代をモノマネする松村邦洋リスペクトのような形になりましたが)など、不思議な用語と共に、一つの笑えるポイントも見逃さないぞ!とでも言うように、すべてを「真剣に会議する」演劇でありながら、「爆笑の連続」にする為の仕掛けがされていきました。
会議をしながら、みんなが悩んでいる、困っていく様子を笑う、というのは、一歩間違えると、集団でいじめていたり、皆が足をひっぱりあっている様子を見る、というので、「フィクションという一線があってもちょっと怖い」「真剣な話に捉えてしまう」という事があると思うのですが、それをきちんと「笑えるフィクション」にするために、上のような事、あと、多分もっといっぱいの事が試されている場が稽古なんだなぁ、と当たり前すぎる事を今更ながらわかったように思いました。
この記録がアガリスクの稽古の様子、そこで何が行われているのかを感じる助けになれば、幸いです。よくわからなかったら、次回の『共謀につき』で、共謀券を購入して公開稽古を見ていただければ、と思います。
公開稽古終了後も稽古は続けられ、ひとまず今書かれている場面までは、最後まで脚本が読まれて、この日の稽古は終了になりました。
しかし、その日までの最新稿を最後まで通した稽古、という事を理解した時に、私の背中に寒気が走りました。
ん……………、
あれ………、いやだなぁ…、なんか変だなぁ…、
この脚本…、……まだ……伏線を…一つも……回収して………いない………?(稲川淳二リスペクトな口調でお読みください)
…公演名が『そして怒濤の意見交換』に変わらないことをひたすら祈りながら、今回の記録を終えさせていただきます。
(追記:なお、8/24現在、稽古日誌を読むと伏線回収の目処がついた様子です。)
次の公開は試演会です。9/6(水)の19:00からとなります。共謀券を購入されていない方も参加できる(要予約 → 予約フォームこちら)らしいので、これまでの記録、稽古日誌などを通して、興味を持たれた方はぜひご参加ください!